昨日、令和元年10月22日の即位の礼。

お祝いにちなんで、古の奈良の都を自転車でめぐってきました♪

▽ その1
http://happycamera.blog.jp/archives/nara-asuka-201910.html


続きです♪



古代史最大のダブー!?入鹿の首塚


西暦645年。

むじこ(無事故)で覚えました?
むしごめ(蒸し米)で覚えました??

(虫が5匹飛んでる、なんてゴロもあるらしい。)


645年は、大化の改新!

と暗記したと記憶にある人も多いと思いますけど、


大化の改新というのは、

645年の乙巳の変(いっしのへん)から、

646年の改新の詔

そしてなんと!

701年の大宝律令完成までの一連の流れを指すようです。


そのきっかけとなった乙巳の変。

横暴を奮い、天皇家を蔑にし、この世の実権を奪おうとした極悪・蘇我氏を征伐した事件。

日本の歴史上、こんなにも極悪な人は他におらんやろーーってくらい最低最悪な蘇我氏の、毛人・入鹿(えみし・いるか)親子、、、


と、言われています。


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ねぇ、ホントにそうなの??


かつて邸宅があったとされる甘樫の丘を背に、

ひっそりと祀られている入鹿の首塚。


物言わぬ首塚。

極悪と名高い蘇我親子。


で、祖父にあたる馬子の実績の多さや、孫・入鹿の悪行に対して、毛人のエピソードが少なすぎる!

「日出る処の天使」の読み過ぎだとわかってるけど、

聖徳太子は毛人だったんじゃないの?

って思いたくなってしまう。


聖徳太子って、上宮太子(じょうぐうたいし)、上宮王(かみつみやおう)って別名があって、

それは大阪の四天王寺からの由来ではあるけど、

毛人の邸宅も「上の宮門(うえのみかど)」って言われたりするし、

豊浦(とゆら)という別名があって、さらに地名にもなってるんだけど、それはこの写真で言うなら首塚から見て右(北西)の方で、

そこには推古天皇が即位した豊浦宮があって、摂政は聖徳太子。


聖徳太子は馬子だった、入鹿だった、ていう説は多いけど、毛人説はすごく少ない。

生きてる間のエピソードが少なすぎるのもホントに不思議。


答えがないから、みんなあれこれ想像の世界を思い描く・・・




山岸涼子の日出処の天子は、1980年の作品ですけど、いつ読んでも全く色褪せることなく脳天ブチ抜かれて、厩戸の妖しくも儚げなその美しさにどっぷりと惹きこまれていきます。

数年に一度は読み返したい名作中の名作!

もう手元にないので、電子書籍で持っておくのもいいかも。




入鹿の首塚。

ここにみんなどんな思いを馳せるんでしょうね。




飛鳥は歴史がまだまだ眠る土地


入鹿の首塚から、そのまま田んぼの農道を自転車で走っていくと、なにやらキレイな新しい建物。


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奈良県立 飛鳥京跡苑池 休憩舎

と書いてありました。



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休憩スペースに、この地の発掘調査の資料やイベントのお知らせが展示してあります。

時間があったらテレビの説明もゆっくり見たかったー。



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大きな水溜まり?

なんかシートで覆われてるとこに、雨が溜まってました。


あれが↓↓↓

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航空写真で見るとどうやら、南池のようです。


このあたりは、奈良あるあるネタでよく言われる

掘ったらなんか出る

エリアです。


たまに歴史がひっくり返るような大発見があるから、目が離せませんね~。

さっきの聖徳太子の話にしても、ホント、いつか何か真相がわかるような発見があるかもしれませんね。



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トイレがあったので、借りました♪





本日の目的地!飛鳥浄御原宮跡


この日のサイクリングのテーマは、

天武・持統天皇ゆかりの地。


やはり、二人が政治の主導を握ったここ飛鳥浄御原(あすかきよみはら)宮は、絶対外せないでしょ~!


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歴史に名を残す、かの地ですが。


ひっそりと、本当にひっそりと。

誰もいない。




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目的地を飛鳥浄御原宮として、ここに来たんですけど、案内板には、

史跡 伝飛鳥板蓋宮(いたぶきのみや)と書かれています。


あれ?浄御原を目指してきたのに??


私もはっきりとした位置関係をわかってなかったんですけど、

この場所に、

飛鳥岡本宮→飛鳥板蓋宮→後飛鳥岡本宮→飛鳥浄御原宮が、順に名前を変えながら建てられていたそうです。

ずっとここが都だったわけではなく、大阪の難波宮や、滋賀の近江大津宮などを経てまたここへ戻ったということですね。



ちなみに、飛鳥板蓋宮こそは乙巳の変の舞台!

この場所で、入鹿は首をはねられ、

そしてさきほどの首塚(1km弱離れてる)まで首が飛んだと伝えられています。


入鹿の首の行方は、いろんなところに伝説があって、

6km北西の橿原市まで飛んだとか。



入鹿神社、前を通ったことは数回あるものの、ちゃんとお参りしたことないんだよね。

今度、行ってみよう~




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采女の 袖ふきかへす 明日香風 都を遠み いたづらに吹く 万葉集 巻一(五十一)

天智天皇の第7皇子・志貴皇子の歌碑がありました。



斉明天皇(女帝)の息子である天智天皇天武天皇。

天智派は壬申の乱で敗れ、その後は天武派で奈良時代へと続いて行きます。


しかし、奈良時代末期、考謙・称徳天皇は女帝で未婚だったため子どもがおらず、また道鏡の騒動(宇佐八幡宮神託事件)もあり、ここで天武派は途絶え、

その後即位した光仁天皇が、志貴皇子の第6男。


つまり、天智天皇の孫にあたり、

今の皇室は、志貴皇子の子孫となります。





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記憶曖昧なとこ多々なので、ググりながら書いてみました。

で、読んでると、へぇ~そうだったんだー!ということが多くて、記事が全然進まないっていう(笑)。



もう1回だけ続きます~

▽ 続きはこちら








【関連記事】

▽ 志貴皇子の邸宅跡が美しい!
 

▽ 夏休み、たまたま行った場所が、宇佐八幡宮神託事件の和気清麻呂の地元で興奮しました。




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実は、2013年にも、4歳のかじゅーんと飛鳥を自転車で巡りました!

寄り道箇所は、完全に私の趣味です(笑)。

12インチの小さい自転車でどこまでも走る元気BOYは、その証としてズボンの膝が常に破れてましたねぇ~(; ̄Д ̄)






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